考古学や発掘と聞くと、石器や縄文時代の土器など、とても特別な場所に埋まっている特別なもの、という印象を抱く。
だが、発掘調査とはけっして日常から遠い物事ではない。そう語るのは、東京大学埋蔵文化財調査室准教授の堀内秀樹博士だ。

堀内埋蔵物という言葉が指す範囲は広くて、例えば掘って現れたものがレンガであってもビニールであっても、それらは等しく埋蔵物なんです。 でも、発掘調査したものすべてが文化財に認定されるわけではありません。自治体ごとに少しずつ違いがありますが、自治体で決められた時代以前が発掘対象になっており、さらに発掘されたもののなかで文化財として認定されたものが「埋蔵文化財」として扱われます。

例えば堀内博士が務める東京大学であれば、大学創立以前の時代が発掘調査の対象としているが、旧石器時代から江戸時代までの道具-例えば、弥生時代の土器や江戸時代の大名藩邸で使われていた生活道具など-が埋蔵文化財と呼ばれるというわけだ。

堀内もう一つ付け加えておくと、行政発掘調査というのは研究目的ではなくて、法律で定められた行政措置なんですね。マンションであっても高速道路であっても、建設の前には、多くの場合確認のための試掘調査を行います。東日本で言えば中央自動車道、関越自動車道などの事前調査では大規模な遺跡がみつかり、多くの時間を要しました。意外に思われるかもしれませんが、考古学は、開発事業や法律と密接な関係を持っているんです。

考古学は、おおまかに「①調査」「②評価」「③周知化」という3つの段階を経て行われている。第一合成は、そのすべての工程で使われる道具を網羅的に扱っている。東大埋文の研究室でもっとも頻繁に使われているテンバコは、埋蔵物を納め保管するためのアイテムで特に「①調査」で活躍する。さきほど言及された高速道路などの発掘では、数万箱もの量が必要だったそうだ。

復元された江戸期の壺。白くなっているのは欠落した箇所で、充填剤(クレイテックス)で補足している

堀内埋蔵物はとにかく数が多いですから持ち運びや保存に頭を悩ませることが多くあります。以前は茶箱や魚用の木箱を使っていたところもあったようですが、やはりそれでは重くて大変です。
ですから、第一合成さんが導入した、積み重ねしやすく、樹脂製の軽いテンバコは非常に重宝しています。また、細かいリクエストに応えてくれるのも嬉しいですね。「もう少し持ち手の部分をしっかりさせたい」なんてときは、持ち手のスペースを深く取ってくれるなどの対応をしてくれました。発掘調査は基本的に手作業の世界ですから、そういう点でも、きめ細かい対応はありがたいですね。

もちろん考古学の分野でも技術の開発・発展はめざましい。発掘現場の測量には建築で用いられるCADを駆使するし、遺物一つひとつに出土した場所や時期を注記する際には、ジェットマーカーを使った自動化・高速化が実現している。しかし、それらはあくまで人の手と目で行うアナログ作業の延長・補助のためにある。

堀内乱暴な言い方ですが、発掘調査はA地点からB地点に土を移動する作業とも言えます。移動しきればおしまいで、元の状態には二度と復元できない。だからこそ、その過程でいかによい歴史情報をピックアップできるかが私たちの仕事の核になります。そのままのかたちで残ることのないモノを、未来においてもきちんと確認・検証できるように残す。言い換えれば、それは「生きた情報を残す」ということでもあるでしょう。

これだけデジタル全盛の時代になっても、発掘調査の場では遺物の状態を「実測図」と呼ばれる手描きの図面で記録し続けている。それは、必ずしも遺物の状態を正しくなぞったものではない。情報として必要な形状や痕跡がきちんと伝達できるように、ある種の強調や省略のテクニックが駆使されるが、そのバランスを判断できるのは、結局のところ熟練した専門家=人間なのだ。

堀内つまり「正しい表現の仕方を学ぶ」ということです。昔は考古学者それぞれが手作りしていた真弧(まこ)を、第一合成さんは商品化されていますよね。竹のひごでかたちを写し取る真弧はとてもアナログな構造の道具ですが、こういった道具から得られる形のデータと、自身の目と手に備わった経験を組み合わせることで、情報ははじめて「生きて」後世に残されます。考古学が残す仕事であるのと同じように、これらの道具も永遠に残っていくと思っています。

遺物を正確に測るための実測台。手前左には使い込まれた真孤も見える

調査室の一角には、埋蔵文化財を収めたコンテナーが整然と並ぶ

遺物を正確に測るための実測台。手前左には使い込まれた真孤も見える

復元された江戸期の壺。白くなっているのは欠落した箇所で、充填剤(クレイテックス)で補足している